2013-12-20
2013年12月放送 「ガイドヘルパーのススメ」
「ガイドヘルパーのススメ」
2013.12.10 配信
※プレイヤーで再生できない場合は
こちら
12月放送アップしました。
いよいよ風雷社中3年目に突入した庭野拓人。
現場の支援者として、支援事業の管理者として、知的障害のガイドヘルパーについて話す。
自身が得たことや外出支援での思い出、今どんな支援者が必要か?などなどを
フリートーク交えポップに話していきます
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2013-10-11
「自身のNPO活動からみた障がい者と社会」
「
自身のNPO活動からみた障がい者と社会
」
2013.10.11 配信
パーソナリティー:
茂野俊哉、
中村和利
ゲスト:
黒沢 一樹(NPO法人若者就職支援協会)
10月放送アップしました。
大田区消費者生活センター内「micsおおた」にて収録。
ゲストにNPO法人若者就職支援協会理事長の
「歩くハローワーク」こと黒澤一樹さんを迎える。
就職支援の活動で障害者雇用の団体、会社などを知り、
風雷社中と出会ったことで知的障害を含む、障がい者と言われている人たちへの
考え方が変化したという黒澤さん。
自身のエピソードも含め、様々な観点から話してもらいました。
後半は茂野、中村交えフリートーク。
※以下プレイヤーより再生できます
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2013-09-14
「世界の死刑廃止への動きに背を向ける日本」
「
世界の死刑廃止への動きに背を向ける日本
」
2013.9.14 配信
パーソナリティー:
茂野俊哉、
中村和利
エンジニア:庭野拓人
9月放送アップしました。
毎度お世話になっています、西蒲田大城通り「カフェレガート」にて収録。
今回は「死刑制度」について。
先日、今年度3回目の死刑執行されました。
OpenSessionとしてもこの死刑制度について十分考えなくてはならない問題です。
茂野俊哉と中村和利がその死刑制度の歴史を話し、
死刑廃止を「検討」すら必要としていない日本に対し異議を唱える。
…と、言いつつも原稿一切用意していない、ぶっつけ本番30分一本勝負での収録です!!
※以下プレイヤーより再生できます
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2013-08-11
「Open Session♪第一回『障害福祉って何?』を振り返る」
「Open Session♪第一回『
障害福祉って何?』を振り返る
」
2013.8.11 配信
パーソナリティー:
茂野俊哉、
中村和利
エンジニア:庭野拓人
8月放送アップしました。
風雷社中本拠地「HASUNUMA☆BASE」にて収録。
2007年より放送開始となったOpen Session♪
今回はその記念すべき第一回放送の原稿を振り返る。
(第一回は2007年09月02日)
実に6年間。
茂野俊哉と中村和利は過去~現在を振り返り、
Open Session♪は新たな局面を迎えます(^^)
※以下プレイヤーより再生できます
- 前半 -
- 後半 -
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No.1 09-02 / Topic:障害福祉って何?
Guest:中村 和利
Personality of OpenSession♪
特定非営利活動法人 みんなの家
障害福祉を街に伝えていくってテーマで、このオープンセッションはでっち上げられた訳だが、まずは最初に『障害福祉』ってのは何だと言う話し。
障害は大きく分けて、精神、身体、知的と3障害に分けられる。
障害をもつ人には、大人もいれば子どももいる。先天的な病気が原因で障害をもつ事もあれば、後天的に事故や病気が原因の場合もある。障害の状況も千差万別で、日常生活に支障のないものから、生命の維持さえも非常に困難なものまで。
障害をもつと言う事は、どういうことなんだろう?
大雑把な表現でくくると、自分の力で「普通に生きる事の困難」なんだろう。
障害があるがために、自分の力で普通に生きていく事に困難が生じる状況におかれる、それが障害をもつということ。
何故、「普通に生きる事」が困難なのか?
・自分の力で仕事をして、お金を稼ぐ事
・自分の力で健康な生活をする事
・安全に暮らす事
この三つを確保する事が困難だからだ。
またまた大雑把だが、この三つがポイント。
この状況を解消する為の社会の動きが「障害福祉」だ。
福祉には、二つの側面がある。
一つは、支援を提供していく動き。
もう一つは、その支援の内容を良くしていくための動き。これに関しては、次回の
「障害者運動」の中で語られるので、省く。
障害をもつ人々が「普通に生きる」ために、行われる支援は多岐にわたるが、戦後日本では、2つの施策が中心に行われてきた。
・年金手当てなどの、障害当事者への資金支援
・障害をもつ人に、特別な教育や訓練を提供し、その人の能力を向上させる支援
しかし、これらはどれも中途半端で、障害を持つ人の困難な状況を改善してきたとは言いがたい。
年金手当てなどは、決して自己収入の乏しい障害をもつ人が充分な額ではなく、障害を持つ人の所得保障は長い間問題でありながら進展していない。
このことは後で話すけど、障害を持つ人の生活を「誰が?」支えるべきなのかが問題になる。
特別な教育や訓練も、障害を持つ人を一般社会の中で自立させていくような効果をあげることは難しい。
もちろん養護学校や障害施設の職員の取り組みで、本人の持つ能力を大きく引き出す事は出来るが、その引き出した能力が、障害を克服するほどのものであることは少なく、能力を引き出していく為には、様々なものを犠牲にして取り組まなくちゃならない。能力向上の為の教育、訓練に時間を割くために、地域の中で仲間を作る機会を奪われたり、人生のほとんどの時間を訓練ついやして、それこそ人間らしい生活からかけ離れた状況を生み出すことも少なくない。
障害の特性にあった、特別な教育を受ける為に、障害をもつ子どもしかいない養護学校に、選択の余地なく入学し、地域の子ども社会から隔離され、本来手に入れるはずの地域社会の中でのポジションを得る機会を奪われる。要するに、近所に友達がいない状態。
このことは、本人だけの問題ではなく、その地域が、地域の中に障害を持つ人がいることをリアリティーをもち認識する事が困難になる。社会が障害を持つ人に歩み寄る土壌を作るチャンスを逃してしまう。
職業訓練として、作業所で擬似的な労働訓練を受け、月に1万程度の工賃を得る。
子どもの時から「頑張って障害を克服する」ことが良い事と信じ込まされて、作業所でも頑張り訓練して、障害を重度化させてしまうケースは少なくない。
しかも、その訓練の内容が、就職に必要な能力を向上させるようなものでもない。作業所で毎日頑張って作業訓練を受けても、手に入るのは、月に1万円と障害の重度化と就職にはつながらないスキルばかり。
生活訓練をする施設でも、本人の楽しみや人間関係を広げていくことよりも、例えば、一枚のハンカチを自分でたためるようになる訓練が重視され、毎日1時間とか2時間とかかけて、何年もかけて、一枚のハンカチを自分でたためるようになることが、本人の可能性を広げる為の訓練として続けられてきたりもする。
生涯にわたり「頑張って訓練して障害を克服する」生活をし続けることと「人間らしく生きる」ことは相反する状況になってしまっている。
到達点や達成点のない教育、訓練の繰り返しの中に多くの障害をもつ人はいる。しかし、そのような状況しか用意されていない、障害をもつ人とその家族は、その中で喜びを見いだし、前向きに生きてきているのが現実だ。
近年、障害を持つ人を弄繰り回して、結果の出ない教育訓練をエンドレスに続けていく状況に新しい切り口が提供されだした。
・ホームヘルパー、ガイドヘルパー、ジョブコーチ、手話通訳派遣など、障害を持つ人の困難を補う支援。
・社会に対しての啓蒙活動や法定雇用率、バリアフリー法など、社会の側を障害をもつ人側に歩みよらせる支援。
この新しい視点での支援は、障害をもつ人の能力を補い、人間らしい生活を手に入れるためには、本人の努力だけではなく、他人の直接的な支援や、社会の側が障害を持つ人を受け入れていくよう変革していく事が中心になっている。
重度の障害をもつ人が、自分だけの力で、普通に街で生きていく事は困難だが、24時間ヘルパーが支援すれば可能だ。
作業所の中で、職業訓練のようなものを繰り返すのではなく、ジョブコーチと共に実際に企業の中で、実践の仕事の中で訓練し、本人も実践的なスキルを手に入れ、企業も障害を持つ人を受け入れていく状況を目の前に障害を持つ人と一緒に整備していけば、就職できる障害を持つ人は増えていく、障害を持つ人を受け入れられる企業も増えていく。
障害をもつ人々が「普通に生きる」ために、行われる支援は、新しい局面をむかえている。障害福祉は新しい局面をむかえている。障害をもつ人を集めて、結果の出ない訓練に時間と費用をついやす不毛な状況から、支援者と共に社会の中に出て行き、自分自身も社会も変わっていく状況に。
しかし、この新しい状況は、かなりの困難の中にある。
障害を持つ人に直接的な支援をするのには、莫大な予算が必要で、国を挙げて、地域を挙げて取り組まなくては確立ができない。
障害をもつ人を受け入れる社会にしていくためには、競争中心の社会の状況そのものが変わらなくてはならない。
さて、障害をもつ人々が「普通に生きる」ことを保障するのは誰なのか?この問いに対しての答えが、今後の障害福祉の行く末を決めていく。長年投げかけられてきた、この問いには、ふたつの答えが用意されている。
家族か? 社会か?
障害をもつ人々が「普通に生きる」ための支援は、障害福祉は、ずっと、家族が支える状況を補う事を前提に行われてきた。ここ大田区でも、例えばホームヘルパーの利用は、同居家族の出来ないところを補う事が前提である。
・家族のことは家族で、それが当然だろうって考え
・障害を持つ人が普通に生きる為の支援は社会全体がしていくべきって考え
このどちらの答えをみんなが選ぶかによって、さっき話した、新しい障害福祉の流れが進んでいくのか、断ち切れてしまうのかが決まってくる。
僕は当然のように、社会が100%障害をもつ人々が「普通に生きる」ことを保障するべきだと考えている。
でもこれは、障害を持つ人を良く知っていて、大切な人たちだと思っているからなのだと思う。
知らない事に、人間は理解を示す事は難しい、正しいとか、間違っているとかではなく、知っているか、知らないかが判断を決めると思う。
だから、ひとりでも多くの人に、障害を持つ人に関心興味をもち、知っている人になって欲しいと思う。
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2013-07-10
「迷惑ってなんだ? 叫ぶ人、走り回る人が不在の未成熟な文化で調子に乗ってんじゃねえよΣ( ̄。 ̄ノ)ノ」
「
迷惑ってなんだ? 叫ぶ人、走り回る人が不在の未成熟な文化で調子に乗ってんじゃねえよΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
」
2013.7.10 配信
パーソナリティー:
茂野俊哉、
中村和利
エンジニア:庭野拓人
7月放送アップしました。
今回も西蒲田にある
フェアトレードショップ&コミュニティカフェ
「Cafe Legato」にて収録。
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今回は中村和利のTwitter上のツイートから始まりました。
表題の通り「迷惑ってなんだろうか?」
様々な場面でその「迷惑」と状況になることがある。
その迷惑とは?を中村和利と茂野俊哉が話す。
両者の意見がまとまらず一時収録中断…!??という場面も。
※以下プレイヤーより再生できます
- 前半 -
- 後半 -
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迷惑ってなんだろうか?
先日、これに関連するTweetをしてみました。
僕の周りには、大声を出す事、動き回る事を場面に応じてセルフコントロールする事が難しい人がいる。
電車、教室、映画などの場面で叫ぶ、走る。
彼らがいない前提の中で、迷惑と位置づけられてきた。
でも彼らはいる、そして排除してはならない。
迷惑とせず、共存する事が新しいマナーだ。
このツイートには批判的な感想もいくつかありました。
批判まず「講演会や映画など大きな声をだされると、静かに聞きたい、鑑賞したいって権利が侵される」次に「障害者であっても訓練教育がされていれば静かにすべき場面で静かにできるはずだ」って2つの視点からありました。
これに対して僕の意見には賛同するが「騒いで良い場面と、騒いではならない場面が選択出来ればいいのでは?」って提案もありました。
外出支援で騒いだり走り回ったりする人たちと外出していると、まあ良くある場面です。
勿論、僕らは彼らが街の中で調和して、楽しく過ごせることを考えているので、回避できる場面は回避します。
でも本人が「映画が観たい」って希望するなら一緒に映画を観にいくし、電車・バス等の公共交通機関は当然のように使います。
自閉症の少年と電車に乗った時に、彼はなにか納得のいかないことがあり、大きな声を出すというアピールをしました。かなりの絶叫を繰り返していたので駅員が途中から乗車してきて下車してほしいと僕に伝えてきたことがあります。
やはり自閉症の青年と郊外に電車で出かけた時に、彼は楽しいと大きな声を出してしまうのですが、電車内で大きいな声を出してウロウロしていました。その時は乗客のひとりが「静かにできないなら電車に乗せるべきではない」って僕に伝えてきました。
そんなコトを思い出して次のツイートをしてみました
外出支援の時に電車の中で知的障害の当事者が大きな声をだしていると、嫌な顔をしてガイヘルの僕に『なんとかしろよ』的なアイコンを送ってきたり、言ってくる人がたまにいる。
何故か本人には直接言わない。
うるさいと思うなら、本人に『静かにして欲しい』と自分で伝えないとだろって思う。
知的障害・自閉症を持つために行動を場面にあわせてセルフコントロールすることが困難な彼らの行動は、今現在の社会の中では「迷惑」と捉えてしまう人が沢山います。
しかし、迷惑と捉えている人たちは、直接彼らと接点をもち「迷惑」と思う自分の気持ちを伝えようとはしません。
先のツイートでの反応の中に「静かにさせるコトもガイヘルの役割のひとつだから、ガイヘルがそう言われて当然だ」ってものもありました。
さてかなり散漫な話になっているので整理します。
今ボクが考えていることは
◯場面に合わせた行動をとることが出来ない障害者は存在している
◯彼らは意図的に社会から分断されてきていて、社会は彼らが「いない」ってコトを前提に文化を作ってきている。
◯「彼らがいない」ってコトを前提にした文化の中で生活してきている人々にとって彼らは迷惑な存在
◯訓練教育によるセルフコントロールの獲得は人間が社会的な生き物である中で有効だとは思うが、「あらゆる障害者に有効な訓練教育はない」「抑圧的な訓練教育は二次障害をよびおこす」「そもそも、適切な時期に適切な訓練教育を受けられる体制がない」
ってコトを前提に、これから社会はその文化の在り方を変えていかなくてはいけないと思っています。
これは一方的に社会が彼らを受け入れなくてはならないって話ではなく、大声をだし、走り回る人たちとそれを「迷惑」ってしか捉えられない人たちが合流していく為になにが必要かを考えて調整していく事が必要なって来ているのだと感じています。
最後にもう一つのツイートを紹介して僕からの発言は一旦終了します。
なぜ、想像しないんだろうか?
重度知的障害や自閉症がある為に
社会から分断されて生きてきている彼らが、
個別でのケアを手にいれて社会に合流していく眺めを。
彼らがいない事を前提に積み重ねられてきた文化の在り方を
議論して新しい積み重ねをする状況を。
社会が正常化していく眺めを。
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2013-06-10
「障害福祉大喜利」
「障害福祉大喜利
」
2013.6.10 配信
パーソナリティー:
茂野俊哉、
中村和利、庭野拓人
6月放送アップしました。
収録ギリギリまで原稿作成ができていなかったため、原稿なしの一発録りです。
今回は3人が障害福祉についての大喜利となりました。
茂野俊哉、中村和利、オペレーターの庭野拓人も参加。
各々が課題について語る。
※以下プレイヤーより再生できます
- 前半 -
- 後半 -
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2013-06-04
「相談のミッションを考える」
「相談のミッションを考える
」
2013.6.4 配信
パーソナリティー:
茂野俊哉、
中村和利
大変遅れましたが5月放送アップしました。
4月29日に収録したはずが、6月に5月アップです!
色々ありましたが!このような状況!断じてなりません!!
収録は西蒲田5丁目にある2013年3月オープンした
フェアトレードショップ&コミュニティカフェ「Cafe Legato」で行いました。
テラスで公開収録となりました。
→
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今回は風雷社中の新事業「相談を巡る冒険」(指定特定相談支援事業者)についてのOpenSession♪
その「相談を巡る冒険」とはなんぞや?
茂野俊哉と中村和利がこれから始まる冒険について話す。
さあ、私たちと一緒に、冒険にでかけましょう。
※以下プレイヤーより再生できます
- 前半 -
- 後半 -
--------------------
「相談をめぐる冒険」
相談をめぐる冒険!
相談をめぐる冒険!
障害者総合支援法51条の20の規定による指定特定相談支援事業者。
であると同時に、
「その人とともに、その人がよりよい人生を生きるための資源を求めて、
冒険にでかける」
というミッションを持って、
障害当事者と社会を架橋していくことを事業とする。
さあ、私たちと一緒に、冒険にでかけましょう。
「特定相談支援」:障がい者(児)が障害福祉サービスを利用する前にサービス等利用計画を作成し、一定期間ごとにモニタリングを行う等の支援(計画相談支援)を行います。
オープンセッションのミッション
障害という社会問題は地域の中に存在するというメッセージを送る。
「支援の一般化」と風雷社中
プロの支援の外側に、みんなが関わる支援、当事者の知り合い、仲間を増やす支援を組織する。
「支援の社会化」と相談支援、そして冒険。
社会化は、支援を通じて社会を変える、再編する力として機能させていく。
障害福祉は社会を強くする、という考え方を提唱し、検証していく。
戦略として、相談というツールを使う。
相談は、こんな考え方でおこなわれ得る。
ケアマネジメントといわれる概念を取り込む。
エンパワメント。阻害されるものがなければ、もともと個人、家族、グループ、地域社会はかけがえのないそのものらしさ(内なるパワー)を持っている。それを引き出すのが支援。
協働関係の中で、ともにめざす。
ダメージモデルからストレングスモデルへ。
「相談」が体よく断り、遮断する機能をもつ場合がある。
・アクセスできる資源を増やしていく、周囲の環境に働きかけ、変えていく。
・自分の力で解決しようとしない。多くの人の協力を得る。その調整をおこなう。
・ピアカウンセリングをする。当事者の協力を得る。
・一緒に目標を考え、そこに向かっていく。
・行政の仕事の一部分を担う相談支援事業も、やらないと。お金が入るのはその部分だけ。
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2013-05-18
配信遅れていますが、、、のお知らせ♪
5月10日配信予定の番組ですが、現在鋭意編集中です。
ちゃんと収録してあります(^_^;)
もう少しお待ちくださいm(_ _)m
収録風景
2013-04-21
「精神障がい者として思うところ」 山田悠平(大田障害者連絡会 副代表)動画編
「精神障がい者として思うところ」 山田悠平(大田障害者連絡会 副代表)動画編
2013.3.10に配信した山田さんの収録の様子を公開します。
この日の収録は風雷社中の拠点であるHASUNUMA☆BASEにておこないました。
2013-04-20
「市川
脩の過去~現在
」
市川脩
(
GEN(株)ケアサービスGネクスト
)
2013.4.20 配信
ゲストスピーカー:
市川脩(GEN(株)ケアサービスGネクスト)
パーソナリティー:
茂野俊哉、
中村和利
大変遅れましたが4月放送アップしました。
今回はゲストに
市川脩
さんを交えてのOpenSession♪
脳性麻痺による四肢体幹機能障害を持った市川さんの生い立ち、PCやプログラミング、障がいを持った中での学校生活、そして現在についてを聞く。
- 前半 -
- 後半 -
◆以下、市川さんから頂いた原稿◆
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OpenSessionをお聴きのみなさん、こんにちは。
はじめまして。
私の名前は市川脩と申します。
漢字で書くと「市場の市」に「三本川の川」、おさむという字が特殊でよく間違えられるんですけど、修学旅行の修の右下の三本線のところが「お月様の月」で「脩」と読みます。
まず、自己紹介をしますね。
生年月日は1982年(昭和57年)10月6日生まれで今現在ちょうど30歳の男です。
出身は東京の品川区です。現在は東京の大田区久が原で一人暮らしをしています。
障がいについてですが、母親のお腹の中から生まれたときに酸素供給がうまくいかず、すぐに「おぎゃー」という産声を上げなかったのが原因で、脳性麻痺(正確な障がい名は「脳性麻痺による四肢体幹機能障害」)で、等級は1級です。
簡単にいうと、首から下はなかなか自分の思っているように動かせません。
出生後、数年経ってから障がいがあることが診断されたそうです。
当時の担当医からは、言葉も発することができないかも、と言われていたそうですが、そこは聞いていただいてのとおり、すごくよくしゃべります。家族からはうるさいぐらいって言われてました。
幼少の頃から車いすを使用しての生活を送っています。
6歳ぐらいまでの間は障がい児の通所施設に通っていましたが、小学校に上がる前の1年間だけ地域の保育園に通いました。
この保育園は1つ上の姉が通っていた保育園だったので、先生方も面識があり、自分が入ることは理解してくれていたようで、1年間という期間ではあったけど、友達の輪を広めることができました。
その後、小中学校は地域の学校に通いました。入学前は主に教育委員会との戦いがあったそうですが、地域の障がい者の会の協力や親の熱い気持ちがあって、無事に入学できました。
正直、地域の学校に通っていなかったら、今の自分はないと思っています。
地域の学校に通ったからこそ、障がいに捉われず、いろいろな考えで明るく前向きに今日まで来られてるんだなと思っています。
自分の人生で大きく変化があったのは2002年8月、19歳(20歳目前)の夏でした。
定時制の都立の商業高校を卒業し、専門学校で情報処理を学んでいた頃です。
父親と自分が2人で旅行中に、父親が突然倒れ、急性心筋梗塞により1日の猶予もなく他界しました。
54歳でした。
それまでの間、父親が仕事以外の時間はだいたいのことを介助してくれていたので、父親を亡くしてからは残された家族や親戚、友人の協力を得て、生活してきました。
しかし、このままでは家族に負担をかけてしまい、また父親のときと同じことを繰り返さないように、日常生活の面で他人介護を依頼することにしました。
それから数年たった2009年5月に、一人暮らしの生活する道を選びました。
父親を亡くしてから徐々に、自分の将来を考えていく上で、ずっと家族に面倒見てもらうのはできないし、障がい者施設で生活することも自分の性に合わない、と思い、この生活をしていくことを決断しました。
それから4年経った今現在、大田区にある障がい者団体に所属しながら、毎日重度訪問介護という介護派遣を受けて生活しています。
活動としては、広くいろんな人に障がい者を理解してもらう内容の活動をしています。
例えば障がい者の啓発運動だったり、交通機関を使いやすくしてもらうための交渉だったり…。
ときには同じような障がいを持つ当事者の相談にのったりもしてますね。
主な活動の話はこれぐらいにして、もう少しみなさんにわかりやすいイメージを持ってもらうために、趣味の話をしますね。
趣味は、音楽聞いたり、パソコンでいろいろやったり、ゲームですかね…。
「えっ?ゲーム?」と思う人もいるかもしれませんが、障がいがあってもゲーム好きな人はたくさんいます。
自分の場合は小さい頃からゲームが好きで、よく姉や友達と遊んでました。
小学生の頃にはちょうど流行った対戦格闘ゲームもやっていて、そのことがきっかけに2年ぐらい前にひさしぶりにやってみようかな、って思って、今でもときどきやってます。
昨年の7月にはそれが功を期して、アメリカ・ラスベガスで開催された世界最大級の対戦格闘ゲームの大会に招待され、参加してきました。
結果はすぐに負けちゃいましたけどね。
参加できただけでも十分楽しめたので、いい経験をさせてもらうことができました。
これは自分にとって大きな成果だと思っていて、障がい者への理解の手段としてとてもいい方法だと思ったんです。
こういう形で一般の人の中に混じって参加していくことによって、若い人達にもこういう人もいるんだ、と簡単に知ってもらうことができるんだなって感じましたね。
今後はもっと多くの人にわかりやすい入り方で知ってもらえたら、と思っていて、イベントを企画したり、ネットのライブ配信等を企画していきたいと思っています。
以上、こんな感じの人間です。よろしくお願いします。
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2013-03-10
「精神障がい者として思うところ」 山田悠平(大田障害者連絡会 副代表)
「精神障がい者として思うところ」 山田悠平(大田障害者連絡会 副代表)
2013.3.10 配信
ゲストスピーカー:山田悠平(大田障害者連絡会 副代表)
スピーカー:茂野俊哉
パーソナリティー:中村和利
3月放送アップしました。
今回はゲストに大田障害者連絡会 副代表の山田悠平さんを交えてのOpenSession♪
精神障害者当事者としての山田さんから、精神障害というものがカテゴライズされがちという課題、障害の理解について話す。
知的障害の問題に関わる中村和利、身体障害の問題に関わる茂野俊哉を交え、
どういうスタンスで社会的アクションを起こしているか、個々の問題、お互いに意見交換としても話しを広げる。
- 前半 -
- 後半 -
◆以下、山田さんから頂いた原稿◆
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こんにちは。山田悠平です。
オープンセッションに参加するのは初めてですし、簡単な自己紹介をさせていただきます。
今回の肩書のメインは、大田障害者連絡会、副代表です。大田障害者連絡会は、障害の区分に関わらず横断的な緩やかなネットワークを築くことを目的とした組織です。
私は、その大田障害者連絡会に、大田区内に住むいち精神障害者として、参加しています。
今回お話しさせていただくのは、“精神障害者として思うところ”をお時間の許す限り話していきたいなと思います。
精神障害者というカテゴリーは多くの一般の人が思う感覚に反して、たぶんに幅があると思っています。制度的にみても医学的にみてもです。その辺の状況整理と学術的な見地に立った詳細な説明をする能力がないので、これはあくまでも経験的なものなのですが、精神障害者というものをひとくくりには出来ない難しさがあります。その課題とカテゴリーという切り口から考える障害者理解の在り方をテーマにしばらく話を展開させてください。
カテゴリーにはある種の限界があります。私はそう思います。
例えば小学生や中学生、高校生といった年齢を基準に区分されるものは、容易なカテゴライズです。しかし、年齢以外の要素では、なかなかそのカテゴリーでは、一般化出来ないです。小学生なのに、身長180センチとかいう人いますよね、テレビとかで見たことがあります。小学生は平均して、だいたい身長何センチかわかりませんが、そういう特別な例があると、とりわけ、一般化することは厳しいのかなと思います。
いや、ここでなにがいいたいかと言うと、人間をカテゴライズした場合の限界という意味での愚かさです。
確かに、物事をカテゴライズして考えたりすると楽だし、効率良いし、便利だし、それ自体は否定しませんが、人間という非常に多面的要素がある対象をひとつないしふたつなど少数のカテゴリーに重点を置き、判断するのは厳しいと思います。そういう前提に立てば、障害者理解というものは進むと思います。障害はその人の一部であり、全てではありません。
私は、前々から思うんですけど、多角的に物事をとらえられる人は、頭がいい人だと思うんです。逆に一義的にしか物事をとらえられない人は頭が悪いと思います。
この例は適切かどうかわかりませんが、とある赤い車が道路を走っていたとします。普通の人は、そのまま赤い車だなって理解するでしょう。車に詳しい人は、ポルシェだなとか車種まで理解するでしょう。もっとすごい人は年代や型のモデルの違いまでをもって理解するでしょう。
逆に、車という存在を知らなかったら、テントウムシとかトマトのでかいのがいるなとか、そういうレベルでしょう。
原因はいろいろあると思います。まず、判断するための情報が少ないということも考えられるでしょう。私は、それ以上に考える力の問題だと思います。
まぁ、そういうことを考えると、教育が社会的な差別を減らす一助にはなるのかななんて期待があります。
話しを戻しますと、精神障害者というカテゴリーには、共通項もあるかとは思いますが、千差万別です。
それは他の、知的障害者や身体障害者より、カテゴリーで考えるのが難しいのではないでしょうか。
そういう認識にまず立たないと、精神障害者の当事者だけの社会的なアクションは厳しいなと思っています。その一方で、希望もあって、現象としての精神障害からの課題抽出ではなく、精神障害というフィルターから見えてきた課題抽出であれば、なんとなかなるんじゃないかなと…。なんとかなるっていうのは、共感性を得られやすいという意味でね。個々の問題から社会の問題へ昇華されるというか。
たとえば、多剤多量処方の問題もそうです。薬を大量処方されている当事者がいるという現象だけ取れば、それは個々の問題ですが、その背景に診療報酬の点数表の問題や製薬会社と精神科医療業界のもたれ合い構造など社会の問題としてとらえることが出来ることもあると思うのです。
この辺うまく言葉にできないのですが、伝わりますかね?
また、どうなんでしょうか?このテーマ、最近のマイブームなのですが、逆にちょっと伺いたいのが、他の障害、知的障害や身体障害の方たちの社会的なアクションってのはそのあたりのところ、どういうスタンスなんですかね?障害区分に関わらないネットワークのスタンスもそれと同じかんじでしょうか?その辺勉強不足なので、ぜひ意見交換をしたいのですが。
個々の問題をどう社会化するか。前振りが長くなりましたが、今日はこのテーマを深くいきたいです。
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4月放送もゲスト決定!
乞うご期待ッ!!
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2013-03-03
特報!「障害者権利条例 八王子市の実践から(一般編)」より
大田区障害者権利条例案を作ってしまう会
が2013年2月24日に
「障害者権利条例 八王子市の実践から(一般編)」
を開催した。
日本で先駆的事例といえる「
障害のある人もない人も共に安心して暮らせる八王子
づくり条例
」について
八王子ヒューマンケア協会
の光岡さんが解りやすく説明してくれている。
作ってしまう会Facebookpage
にて、その動画、画像がUPされているのでOpenSession♪としても情報をシェアしておきます。
2013-02-22
「送迎支援の憂鬱と」 中村和利(特活!風雷社中)
「送迎支援の憂鬱と」 中村和利(特活!風雷社中)
2013.2.20
配信
スピーカー:中村和利
パーソナリティー:茂野俊哉
大変遅ればせながら2月放送アップしましたm(__)m
今回は風雷社中 支援事業 風:fuuが日頃行なっている通学・通所支援について。
「行きたくない」と意思表示を示した本人に我々は複雑な思いを抱えつつも目的地へと誘導していく。
「学校や施設に行きたくない」って本人が意思表示をした時に僕らは、どう対応していくことが必要なのだろうか?
本人、支援者共に憂鬱な思い。
風雷社中代表 中村和利と、風雷社中にて送迎支援を担当しているopensession代表 茂野俊哉がこの送迎支援について話す。
1送迎支援について
この2年半くらい特別支援学校や学級、そして通所施設への送迎支援が支援事業 風:fuuの仕事として増加の一途を示している。
僕らは障害を持つ人達の「社会参加」を進めていくMISSIONの下に活動をしているのだが、この送迎支援について非常に悩ましく考えている。
学校や日中活動の場面への参加は、確かに社会参加の「一つ」であるから、その支援を行うことに問題はない。
行政が「移動支援事業」の送迎への適用を認めたコトは非常に評価している。
本人が行きたいトコロ、いくべきトコロに行くコトの保障はされてしかるべきことだ。
しかし、本人が「行きたい」のならばだ。
「学校や施設に行きたくない」って本人が意思表示をした時に僕らは、どう対応していくことが必要なのだろうか?
2学校・施設に「なぜ」行きたくないのか?
知的重度の障害をもつ彼・彼女らの真意は計りきれないが、いくつか思い当たるコトはある。
・他に行きたいトコロがある
・学校・施設に行くことが苦痛
他に行きたいトコロがあり、通学・通所のルートからの離脱を本人が主張することがある。
例えば天気の良い日にバスや電車に乗って外出したいのだろう。
そして、行くべきとされている目的地(学校・施設)に、そもそも行く動機が希薄だったりする。
さらには、苦痛だったりする場合もあるから、行きたくないってなるのかなと。
この時、僕らは彼・彼女らを説得して目的地へ誘導していく(T_T)
3説得の状況と憂鬱
行きたくないと違うルートを求めたり、立ち止まり動けなくなったりする時に、無理やり引きずり連れて行くコトは当然できないし、したくもない。
あなたの希望に添えないことを伝え、申し訳ないが行っていただけないだろうか?ってお願いするしかない。
しかし、コチラとしても「行きたくないトコロには行きたくないよなあ」って思うので複雑な気持ちだ。
本人が強い拒否を示す力があれば、学校・施設に行きたくなければ行かなくていいって選択肢も浮上するのだが、、、大概は説得に応じてくれる。
「日頃関係性がある、お前がそこまで言うなら、しかたない行ってやるよ、嫌だけどね」
「行きたくはないけど、そんなんなら行くよ、行けばいいんだろ」
って声なき声がそこにはある。
ここで学校・施設に行かないって時の問題点をいくつか
1家族は学校・施設に行って欲しいって思っている場合が多い
・世間一般で求められているコトに答えてほしい
・出来ないことはできるようになってほしい
・日中のケアもすべて家族で行うことは困難
2学校・施設に行かないことは本人のワガママ、多少の苦痛は頑張って乗り越えて欲しいって考え方
・行くことへの動機付けが上手くできていないのに本人の課題とされてしまう
・強要によってイケるようになり、そのまあ適応する場合もある
3学校・施設が良く言うコトバに「来てしまえばスムーズに参加している」
・目の前の状況しか見ていない(見ようとしない)
・課題を本人にみだしていて、自分たちの改善点を見落とす
4学校・施設に行かないって選択肢を認めてしまうと、まったく行かなくなるのでは?それを支え続けるコトは非常に困難なコト
・ここが重要、学校・施設に変わる日中活動の場がなければ、自宅にこもることにもつながる、そうすると居宅介護等での対応も考えられるが、それで良いのか?
4さて、これから何を用意していかなくてはならないのか?
実は全然まとまっていない話なのですが、考えていく方向を模索しています。
でも、今ある材料のみで模索しても先に進めないので材料を増やす作業に取り組もうかなと考えています。
◯学校・施設にいかなくてもケアが保障される状況作りを考える
・在宅でのケア体制の確立(これは病気などで休む際にも必要)
・学校・施設以外の居場所の確立(本人の選択幅を増やす)
◯学校・施設にいかない(いかないこともある)って状況について議論の場をもつ
・個別支援会議として設定する
・webなどで開かれた議論の場を設ける
(実験的に公開のFacebookpageを設定してみた、セッションには中村、田中、志村が参加
「通学・通所について考えるグループ
https://www.facebook.com/groups/486208278081427/
」
この2点に改めて取り組みをもち、そこから見えてくるモノがないか?って考えている。
◎
「送迎支援の憂鬱と」 中村和利(特活!風雷社中)
【前半】
http://www.voiceblog.jp/opensession2/1870675.html
【後半】
http://www.voiceblog.jp/opensession2/1870670.html
2013-01-15
支援の社会モデルについて ~茂野vs根本~
支援の社会モデルについて ~茂野vs根本~
2013.1.12配信
スピーカー:茂野俊哉 根本淳哉
特活!風雷社中の若者社会参加支援事業「蒲田JUNCTION」メインスタッフの根本淳哉とOpenSession♪の茂野俊哉が「支援の社会モデルについて」をテーマにトークしています。
テキスト版(準備中)
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2013-01-14
OpenSession♪再開です(^O^)
2013.1オープンセッションが配信を再開しました。
リニューアル作業のため3ヶ月お休みしていましたが、満を持して帰ってきた、、、かな?
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